海兵68期 松永市郎氏の部屋

2005年3月31日夜 当ホームページ顧問の松永市朗氏が永眠されました
心からご冥福をお祈りいたします

松永さんは海軍の厳しさやつらい話は一切なさらずに、常に「ウイット」「ジョーク」のオンパレードでした
我々に戦争の持つ暗い側面を一切聞かせたくなかったかのようでした
実戦の話になると多くを語らなかったのはよほど聞かせられない「地獄」を見てこられたのですね
我々若い「戦争を知らない世代」から「師匠」と呼ばれた時の満面の笑顔がもう見れないのかと思うと断腸の思いです
私ごときが「長官」と呼ばれたときは本当に萎縮しました
いろいろな場所にご一緒させて頂きました 本当にありがとうございました

奥様とご同伴でご一緒させていただいた熱海・初島ツアー
海辺でのバーベキューは一生の思い出ですね
「一生の中であと何回こんなに楽しい食事ができるかな」という言葉が今でも印象的です

富山・立山での講演会
いかめしい登山服姿の中に1人スーツに革靴といういでたちで乗られた立山ロープウエーも今となっては最高の思い出です
あの時の脚力を見て驚く我々に「海軍で鍛えた足だから」と大笑いされましたっけ

2003年3
月 江田島の自衛隊第一術科学校の卒業式
涙をいっぱいためて「表桟橋」から練習艦に旅立つ卒業生を見ていましたね
午後に回った教育参考館に展示してあった「日本の九軍神」というコーナーで同期の広尾氏の写真をじーっと見ながら何を思っていたのでしょうか?
今、広尾さんと楽しくお話されているのでしょうか?

師匠にいただいた「ご恩」と「海軍精神」を一生大切にしていきたいと思っています

3回も米軍に狙われた師匠、今回は安らかにお眠りください
                                                  
合掌


ここは当ホームページの顧問であった松永市郎氏のコーナーです

「思いでのネイビーブルー」や「先任将校」の著者である松永氏から
FAXでいただいた「こぼれ話」と題したお話をご紹介します

本当に今までありがとうございました

松永氏より寄贈していただきました「松永文庫」前にて作者と松永氏

メンバーの方々は直接聞いたお話も多いですが文章で読むとまた「一味」違って聞こえます

1 虫がつき易い

ロンドンのデパートで私は仲間に言った。

松永「年頃の娘にカシミア・ウールを土産に買って帰ろうと思っている」

北川「よしなさい」

松永「カシミア・ウールは女性がとても喜ぶよ。君はそれを知らないのか?非常識だよ」

北川「あなたと私がどちらが非常識でしょうか?あなたが息子さんにカシミア・ウールを買って帰られるなら私は止めません。ウールは虫がつき易いんですよ。それをあなたは年頃の娘さんへのお土産にするんですか?」


2、匙(さじ)を投げた

ストックホルムにはハンザ同盟の当時からあったという、ガムラスタンと称する古い商店街がある。そこのとある店にストックホルムと地名がついた匙が売っていた。

これはよい土産になるから20個ほどまとめて買おうと思い単価を少し下げろと交渉したが、この地方にはそのような商習慣がないのか店の主人は承知しなかった。

そこで私は買うのを止めた。いわゆる匙を投げたのである。


3、イーチマン

艦隊はパナマのバルボア港に入港した。南米大陸側にあるこの港から仲間4人タクシーでアメリカン橋を渡り北米大陸側へ行くことにした。

タクシードライバーに料金を尋ねたら

「ワンダラー」とのことだった。

よかろうと思い乗って目的地に着いたから料金を払おうとしたら

「イーチマン ワンダラー」と言う。

付近に警官はいないし荷物はトランクに入っていて時間はどんどん過ぎていく。

仕方ないからドライバーの言いなりに4ドル支払った。

道の場所ではタクシーを利用する場合

1 イーチマンかどうか

2 荷物はトランクに入れない

という旅行の鉄則を学ぶ高い授業料になった


4 ダイヤモンドヘッド

「一日千里、五里二十日」という帆船時代の船乗り用語がある。その意味合いはこうである。

「風の具合で1日に4000キロ走ることもあるし20キロ走るのに20日かかることもある。とにかく風はあてにならない」

その当時の人類は、食料保存の方法を知らなかったし、栄養学の研究も十分でなかったから太平洋、大西洋の航海では犠牲者が出るのは当然とされていた。

ハワイのダイヤモンドヘッド辺りの土地は地中に含んでいる物質の関係で太陽光線の角度の具合では「ピカーッ」と光ることがある

長い航海で疲れ果てている船乗りたちはあの「ピカーッ」と光る光線を見て「やれやれ一命を拾った」と一安心した。

あの「ピカーッ」と光る輝きはダイヤモンドの輝きにも匹敵するということであそこを「ダイヤモンドヘッド」と命名したという。

パンチボールの岡からワイキキ海岸へ向けてだらだら坂を800メートル程下ったところにマキキ日本海軍墓地があり、16基の将兵の墓がある。

太平洋航海中に死者が出ると水葬する。軍艦がハワイ在泊中に死者が出て火葬して埋葬したわけである。


5、一番鳥

カイロ市で仲間の学友宅に泊まった時、酒を飲んでの談笑に花が咲き、一番鳥が鳴く時間帯となった。この時私は中学一年の英語の時間に先生が

「イギリスでは鳥がコッカズーズルズーと鳴く」と教えられたことを思い出した。

ところでエジプトは過去において最初はフランス、続いてイギリスの植民地になっていた。

するとカイロ市の鳥はエジプト語、フランス語、英語のいずれで鳴くだろうと疑問を持った。それを確かめてから寝ようということにあいなった。

私が聞いていたら「コケコッコー」と鳴いたように思われた。「日本人はエコノミックアニマルと言われます。日本人が生卵を輸出したかもしれません」

その後本件の調査は進んでいない・・・


6、ネルソンのラブレター

ポーツマス軍港のドッグには200年前ネルソン提督乗艦のヴィクトリア号が現役艦として保管、展示されている。その横の海軍資料館(ネーバルミュージアム)にはネルソンのラブレターが展示してあった。

ネルソンには愛人ハミルトン夫人がいた。トラファルガー海戦前に夫人に出したラブレターを展示してあった。

日本では偉い人、有名な人の場合、美点と長所のみ並べてある。アマノジャクの私はそのような人の伝記をまず読まない。

読書の習慣のない私だがその後ネルソンの伝記は読んでみた。


7、東洋人の見分け方

この航海で外国の港に上陸しては、向こうの遠方から歩いてくる東洋人グループは日本人グループかそうでないかを当てっこした。

東洋人は小柄だから東洋人グループ遠くからでもよく分かる。だけどそのグループが日本人化どうかは顔が見える位近づかないと分からなかった。

ところが仲間の佐治浩一さんは遥か遠くから百発百中当てていた。その秘伝を教えてもらった。

「戦争が終わった直後外国旅行できるのは公務員か大会社の重役かだけでした。日本以外の諸国はまだその段階だと思います。日本は戦後30年経ってやっと女性も海外旅行にいけるようになりました。そこで私としては東洋人グループを遥かに見てじょせいが混じっていると日本人グループと判断しているのです。


8、ノーベル賞

兵学校の同期生が話しかけてきた

「学生時代は目立たなかった君だが60歳過ぎてから派手に活躍してるじゃあないか。不思議でならない」

「それもこれもノーベル賞のお陰さ。小学校では優等生だったが中学生で世間にノーベル賞があることを知ってから恐くて勉強できなくなった。ノーベル賞をもらうとストックホルムに出かけなければならない。テーブルマナーも知らないし、ベッドも見たことがないのでかえって日本の恥にならないようにと勉強が進み過ぎないように私はローかセカンドで走っていたから目立たなかっただろうよ。60歳の時、遠洋航海の新聞記者として参加しストックホルムに寄港した。ノーベル賞の授賞式の行われるコンサートホールも祝賀式の行われる市庁舎の黄金の間も受賞者が宿泊するグランドホテルも見てきた。お陰でノーベル賞が恐くなくなった。現在はトップギアで走っている。少しは目立つだろうね。」


9、キュウジョウ

前後の言葉があれば発言者の意向を推測できるが「キュウジョウ」と聞いただけでは発言者の意向を推測できかねる。

もちろん個人差もあろうが最大公約数に表示すると、年齢により受け取り方は以下のようになるであろう。

明治生まれ 「宮城」

大正生まれ 憲法「9条」

昭和前半生まれ 野球場

昭和後半生まれ サッカー球場


10、漢字

「○の中に漢字を入れよ。

○肉○食


カナを漢字に直せ。

「コンゼンイッタイ」

このような試験問題が入学試験や入社試験でも出ている。

ところで受験生が使う漢字は戦前と戦後は変わってきたと言われている。世相の移り変わりを文章にすればこうなる。

大正生まれの青年たちは「弱肉強食」の国際情勢に対処して、戦友同士「渾然一体」となって国防に身を捧げてきた。

戦後生まれの青年の中には平和に馴れ、「焼肉定食」を食べ、恋人同士「婚前一体」となってバカンスを楽しむものがいる。


11、名刺

宮本まりさんはコメントして名刺を渡すと言う。

MMの宮本まりです。女性ではMMが有名です。宮城まり子さん、マリリンモンローさんもそうですね。私この二人に負けないように頑張りますからよろしくお願いします。」すると相手から

MMの宮本さん、いらっしゃいますか?」

と電話がかかってくるという

このアイデアを拝借して私もコメントして名刺を渡すことにした。

「松永市郎です。イチロウといっても簡単な「ヨコイチ」ではありません。横浜市、浦和市の「市」と書いて「タテイチ」です」

コメントして渡すと相手はしげしげと名刺を見て話しかけてくる

「松永さんは会社の顧問ですか?」

「顧問でもコモンセンスなき顧問です。自宅のばしょは裏面に描いてあります。とは申しましても私は裏も表もない人間ですからどうぞよろしくお願いします」


12、外国人に名刺を渡すとき

外国人に名刺を渡すときには次のようにコメントします。

「イチロウはファースト・サンを意味します。ファミリーネームのマツナガはエバー・グリーン(常緑)を意味します」

すると相手の外国人は即座に「ミスター・エバー・グリーン」を連発してあらためて握手を求めてくる。

その握手はさっきの儀礼的な握手ではなく心のこもった握手である。

日本名の「マツナガ」を押し付けていた間はよそよそしかったが、あちら風にアレンジしたら途端に親密さを増したのである。


13、「オペラ」

ロンドンでイギリス海軍士官と次の会話になった。

「オペラは素晴らしい芸術ですね」

と私が聞くと

「日本の歌舞伎には***や***や***の特長がありますね」

と日本人のこちらが知らないことを列挙されて冷や汗をかいた。

自国の芸術を全く知らずに相手国の芸術をほめてもそれは「単なる追従」と受け止められた訳である。


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