お便り、ご質問の部屋


ここは今までにいただいたお便り、ご質問のコーナーです

なおこのご質問に意見がありましたらメールをいただければ幸いです


1997年

12/31
小生,日本海軍についてのありとあらゆることに興味があり,対象が広すぎる が故に全てが未消化に終っております.
本件「コレス」につきましても一つの興味の対象であり,単に陰語の存在のみならず,陰語の使われ方などについても一定の傾向を見出せるのではないかと考えており ました.これは何も陰語に限らず,海軍の制度に規定されない風習や習慣など 全てに対する「傾向の抽出」を一つの視点としております.そこから,海軍内 部に対する「感覚」を身に付けたいと思っております.
それ故,自分が吸収して身についたと考えられる「感覚」に反する事実に出会っ たならば,それを修正する必要があろうかと思っておりまして,今回はそのよ うな事実かどうかを確認しとうございました
. もし,上記の件がなんらかの形で確認できましたら,別途御連絡下さいますよ うお願い致します.
前述Iさん


12/31
はじめまして、Sと申します。
hp拝見しました。
とてもきれいなレイアウトで見やすく、素敵なhpですね。
ところで、私もたいして詳しくないんですが、軍事物は大好きでして。
ちょっと気がついた点を一つ。
「赤城」と「加賀」は厳密には同型艦ではないと考えられます。
当初ワシントンかもう一つかの軍縮会議の影響で八八艦隊計画の中から巡洋戦艦 の「赤城」「天城」を空母に改造する予定でしたが、これもウル覚えなのです が、関東大震災かなんかで台座からずれたかどうだかで、天城を廃棄し戦艦の加 賀を改造したとか・・・
もうお気づきか、あえて同型にしていたのならすみません。
元来同型艦といっても蒼竜と飛竜みたいに艦橋が逆とか、まったく同じ時期に 別々の所で作るのと1隻づつ作るんでは違いが出ますよね。
いろいろいきなり書いて失礼しましたが、これからも楽しい?HPにしていって ください。
(各艦のコメントがあればなお面白いかも?)

12/27
小生,日本海軍に興味を持つ者でございます.
この度,貴ホームページを閲覧させていただき,ついては一つ質問があり,メー ルを送付するに至りました.
海軍の陰語について,例文の冒頭「おいコレスよ」という下りがありました.
後の解説にあるように,「同期で他校生」(申し訳ございません,正確な表現 忘れてしまいました)の旨の説明があったように思います.
確かに上記の説明は正しいと思うのでその意味で異存は無いのですが,一般に 「コレス」の表現は「生徒出身」,すなわち海兵,海機,海経出身者の間で使 われる用語ではないかと「私は」捉えています.
これは実体験に基づくものでないのでなんら説得力は無いのですが,例えば, 同期といっても色々あって,例えば砲術学校と水雷学校の高等科学生でも同期 という関係はあり得ますし(上記の定義には一応合致する),一般兵科予備学生 と飛行科予備学生でも(こちらは,学校ではないですが)同期の関係はあるはず ですが,これら同期関係において「コレス」という「用語」を用いた例は寡聞 にして知りません.
もちろん,術科学校は,入学は幾つかの期(海兵,海機)にまたがっているの で,元々他の術科学校との同期関係を云々する,あるいは術科学校での期数 を問題にすること自体が少ないことは知っているつもりです.
特に後者の例に関して,「コレス」という言葉を用いても定義上問題は存在し ませんが,予備士官の文献や手記を読んだ件数が非常に少なかったり,あるい は元々予備士官の間での対応期関係を云々する場面が少ないが故に,この部分 ははっきりしません.「同期で他校生」の説明に関して,言外にどのような意 味を示唆されているのか御教示いただければ幸いです.
また,「誰々と誰それはコレスになる」「コレスだから」という用い方は種々 の読み物で見た経験はありますが,同期に向かって「おいコレスよ」という用 い方は初めて知りました.
浅学なものでお恥ずかしい限りですが,上記のような用い方をしている「実例」 が載せられている文献や書物を具体的に御提示願えれば幸いです.
大変あつかましいお願いですが,よろしくお願い致します.
Iさん
12/28
広瀬中佐に関する資料が有れば欲しいであります!
RB26さん

12/22
初めまして。
 戦艦長門の最後については、ビキニ環礁での水爆実験で5日目に沈没したことにな っていますが、噂ではナチスドイツの残党が同実験の標的艦にされていた重巡プリン オイゲンを奪還しようとして被害程度の良好な長門を南アメリカに持ち帰り、その後 台湾に売却されたとの説もありますが真相について知っていることがあれば教えてく ださい。
Sさん

12/16
どうもお久しぶりです。戦艦のページの奥村です。
赤城、加賀ですね。あれは実は2層ではなく3層でした。しかし…
真ん中の層は始め艦橋を左右2つに分けて使用して、そのあいだから発艦させ るつもりでしたが、
「あれでは操艦不可能!」
という声が上がり艦橋で埋めてしまい一番上と最下層の2層構造になったわけ です。
さて、1枚甲板にした理由ですが、あれはなによりも 「艦載機発艦用の長さが足りない」 ためです。
赤城、加賀が竣工した当初は複葉機が主力でしたが、しだいに艦載機が大型化 していったため艦自体の性能が追いつかなくなってしまったのです。
やはりまだまだ創成期の産物でしたということです。
しかし、たしかにミッド ウェイで 「発着艦同時に出来る」艦を と言うことにはなかなか興味深い意見だと思います。
この案、気が付きませんでした。(^^;
たしかにミッドウェイに 「斜め飛行甲板の空母があったら」 と言う過程を立ててシミュレートしてみるとなかなか面白いことになりそうで す。
ではでは〜
ご存じ、戦艦通の奥村さん

12/14
Internetで戦艦のページを拝見させて頂きました。
 趣味で 日本海軍の本などを楽しむアメリカ人です。
 長門の最後の大佐と 大将の名前を知りたいのですが、長門に詳しい information をお持ちの人、又は他の方法を紹介して頂けますか?
Internetのページに興味を持ち楽しませて頂きました。
当方でもHomepageを出しているので機会のある時にのぞいて見て 下さい。
私の名前は Bill Plantamura どうぞ宜しく。

昨日の敵は今日の友ですよろしく!!(作者)
軍艦とはなかなかすごい趣味ですね、近所の宇野港へたまに 護衛艦がくるので是非見たいと思っているのですが、なかなか 見られません
どちらかというとハイテク関連のハード技術にとても興味を感じます。
こちらこそ今後とも宜しくお願いいたします!
岡山県 Sさん

はじめまして。素晴らしいページを見させていただいて、日本軍ファンとして感激です。
ただ、一つ言わせていただければ、タイトルページに流れている文字列に、 「皇国の荒廃この一戦にあり…」
とお書きですが、これでは戦に勝とうが負けようが、皇国は荒み、廃れるということになってしまいます。
正しくは 「皇国の興廃、此の一戦に在り。各員一層奮励努力せよ」 ですね。
FEPに頼りすぎているとよく起こってしまう現象です。細かいことではありますが、訂正をお願いいたします。
Oさん

はじめまして、Tといいます。日本海軍に関するHP見せて もらいました。
僕も旧帝国海軍は小さいころから好きでこのHPの データ量に驚いています。
特に駆逐艦や潜水艦まで網羅してる のが凄いですね。
よければぼくのHPにリンクはらせてください。お返事まっております。
Tさん

質問です。
 赤城や加賀の写真を、子供の頃みたことがありますが、たしか甲板が2層から3層になっていた写真をみた覚えがあります。
あれは空想の設計で合成写真だったのか??。
 もし本当に、建造されていたならば、ミッドウェイ海戦の時、着鑑と発鑑が同時に行えて、少しでも艦載機を迎撃、攻撃に使えたのではなかったのでしょうか。
 教えてください。
 ウオーターラインシリーズ(プラモデル)が好きだったKより。
Kさん

貴艦ノ我ガ艦隊ヘノ合流ヲ祝ス!
>なお 貴艦には敬意を表し最上甲板にご案内いたしました
>一度ご覧ください!
拝見いたしました!身に余る光栄です!
>なお新企画として「海軍式モールス信号記憶法」を掲載するつもりです!!
>こうご期待
「オショーショーコー」とか、あのたぐいですね。
あれ、なかなかおぼえられなくて・・・
とっても期待しています。
これからもお互い、よきページ作りを目指してがんばっていきましょう。
ではまた。
ご存じ、戦艦通の奥村さん

いただいたメールは実名でしたが許諾をいただいてませんので仮名にしてあります。
実名を出してもよろしければメールをいただければ光栄の至りです。
HOME


1998年のメール

お返事、回答などございましたら、こちら!!