【燃料の統合と陸海軍の統合】

 

 船舶、航空の戦闘力の第一は行動力であります。

 あの日露開戦において、時の海軍大臣山本権兵衛大将は、このことを熟知し、いかに対処するかにつき、誰よりも燃料問題に深い関心を寄せていました。

 すなわち、日清戦争において、日本海軍は、和炭を使用し勇ましい黒煙は盛んであるが艦船の速力は不十分であることを案じ、当時世界で艦船用燃料として最高の燃料である英国産カージフ炭を購入、万全を期したのであります。

 今次大戦に於いては、開戦時、我が海軍は先に話したとおり、開戦用として約1年半の燃料を保有し、かつ南方方面戦闘において陸海協力、インドネシアその他の油田を確保し、不敗の態勢を確立いたしました。

 しかしながら、昭和174月のミッドウエー海戦以後、連戦連敗で燃料の所要量も膨大でありましたが、よくこれに即応できたのも、一に南方油田地帯の確保によるものであります。

 捷一号作戦敗退後、南方からの燃料還送不可能となりましたが、燃料戦備責任者として、これより先半年前より、日本国内資源を活用する「新燃料戦備計画」(すなわち、松根油、アルコール燃料計画)を策定、全国民が中心となり、これに軍、官が協力して作戦上必要とする所要燃料の生産確保を計りました。

 最後に話しておきたいことは、燃料の陸海統合の問題です。

昭和203月頃、軍務局藤田正路局員(海兵52期、中佐)より、「陸海軍燃料の統合という問題が起きたらどうするか。私見でよいかから話してもらいたい」との相談がありました。

 これに対し、私は次のように述べました。

「陸海軍燃料統合が上層部で決定すればそれに従う。ただし、あらゆる面から見て、海軍が優れているので『海主、陸従』の形での統合でなければ国益にならぬ」と回答しました。

 この問題が何故に起きたかと言えば、本土決戦が予想され、陸海軍統合問題が、陸軍側で論議されました。

その理由の根元は、昭和202月の硫黄島の攻防において、陸軍の指揮官栗林忠道中将が市丸利之助海軍少将の率いる陸戦隊の戦闘を極めて低く評価し、海軍の陸戦隊は陸軍に編入すべきことを強く中央に意見具申したのが発端のようです。この統合問題は、朝香宮より天皇に伝わり、天皇の御意志の如く陸軍首脳に伝わり、陸海軍統合、燃料統合の話となったものと思われます。

この陸海軍統合問題は、極めて重要であり、天皇陛下は、陸海軍大臣に意見を求められます。陸軍大臣は賛成、海軍大臣は反対の意見を述べられ、この御下問により、陸海統合は立ち消えとなります。

当時、米内さんは終戦を考えておられ、もし、陸海統合すれば国策は陸の思うままになり、本土決戦は必至と考えられたと思います。

もし、本土決戦となれば、日本は亡びる。日本存続のためには、本土決戦はやってはいけないという深慮により、米内さんは統合に反対されたと思います。神助と言えましょう。

燃料統合問題を思うたびに米内さんの偉大さを痛感します。

 

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