【海軍機関学校】

 実は、私は熊本県出身であり、親戚には陸軍軍人が多く、海軍は私の母の末」弟で山本五十六大将と同期の叔父一人だけでありました。私自身も、陸軍士官学校に進学するものと、そう心に定めておりました。

 したがって、中学5年の時、陸軍士官学校を受験しましたが、ほとんど同じ時期に海軍機関学校の入学試験がありましたので、両校を受験しました。(当時、海軍兵学校の受験は両校より1ヶ月程後に行われていました。)両校受験の結果、両校に合格しました。当時、私の従兄が陸軍大学在学中であり、喜んでくれました。その時、中学校の東大英文学出身の“浦霧(うらぎり)末松(すえまつ)”という先生が私を呼んで、「陸士や海兵は勿論良い学校である。しかし、海軍機関学校は軍人の学校として立派であると共に、一般の学校と比べても優れた学校と聞いている。是非海軍機関学校に行き給え。」と勧められ機関学校に入校しました。人間の運命とは真に不思議なものとしみじみ感じます。皆さん方は、どういういきさつで、自衛隊に入隊されたのでありましょうか。

 海軍機関学校に入校して今なお忘れることのできないことが一つあります。それは、入校後、私は1分隊に配属されましたが、この第1分隊監事の斎藤元固機関少佐(海機24期)の訓であります。斎藤教官は訓辞の後、よく、「名利を求むるなかれ。使命を尽くせ。使命に死せ。」と申しておられました。ご承知かと思いますが、軍人はすぐ名誉がどうとか申しますが、斎藤教官は「名利等というものは与えられるものであり、求めてはならぬ。命を賭して使命を尽くせ。」と訓示されておりました。そして、日露戦争における旅順閉塞作戦の話をされ、軍歌にあるとおり、第1回閉塞隊隊員77名の内、約8割は機関科将兵であったが、指揮官広瀬中佐は軍神と仰がれた。この指揮下にあった将兵一同はただひたすら黙々と己の責務を遂行した。この精神こそ軍人にとり、最も大切であると教えられました。

 この「名利を求むるなかれ。使命を尽くせ。使命に死せ。」という訓は軍人のみならず、全ての人々の守るべき訓であり、齢90歳になった今日においても深く心に留めております。

 浦霧先生が私に対し、「機関学校に入学するように」と勧められたのは、機関学校にこのような校風があることを知っておられたためではなかろうかなどと、回想します。

 ちなみに、斎藤教官は、愛国的キリスト教徒、内村鑑三先生の弟子であることを学校卒業後知りました。

 

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