【はじめに】

 木山であります。只今藤田海上幕僚長より鄭重なご紹介をいただき、真に恐縮に存じます。

 私は昭和3年海軍機関学校に入学、大東亜戦争当時は海軍省軍需局局員で燃料戦備担当の任にあり、中佐でありました。私が本日の講話の題を「燃料に関する回想」といたしましたのは、昭和16年の115日御前会議において、対英米蘭に対する戦争目的が次のとおり決定されたからであります。

 

1.日本の自存自衛を全うすること。

すなわち、開戦直前の昭和16108日、英米蘭の3国が対日石油輸出禁止を通告、日本の軍備、経済を窒息せしめんと企図したため、これを打破すべく、開戦を決意したのです。すなわち、石油問題が開戦の第1目的となっています。

2.     大東亜新秩序の建設

すなわち、永年に亘り、英、米、蘭の植民地である南方諸国の独立を図ること。

 

なお、私の話の中から「軍の責任者の判断と決断」がいかに「国家の運命」、「戦の勝敗」を左右したかということを察知いただければ望外の喜びであります。

実は、私は防衛庁、海幕の創設時から深い関係がありました。ご存じのこととは思いますが、昭和25年朝鮮戦争勃発、26年9月講和条約締結、講和条約締結前後から米極東海軍部参謀副長バーク少将(後の大将)と野村海軍大将(開戦時の駐米大使)との間で、日本の再軍備問題が協議され、海上防衛力再建のためY委員会が設置されました。

 すなわち、主席委員山本善雄少将(海兵47期)、次席秋重実恵少将(海機28期)、他旧海軍出身者委員6名等により構成、私は当時、北朝鮮から引き揚げてきた海軍軍属を救済するために設立した半官半民の日本燃料株式会社の代表者であり、常任委員に就任することは不可能でありましたが、次席の秋重少将が病身であったため、委員補佐として協力しました。

その時、軍の再建計画として3・3・3計画」が審議されました。「3・3・3計画」というのは、陸軍30万人、海軍30万トン、航空3千機という計画でした。海軍の30万トン計画とは、8,000トン級空母4隻を中核とした兵力で、これに対する戦備計画を策定したことは忘れることができません。

なお、防衛庁創設時、昭和30年東大卒の上野、三好両君が入庁され、爾来今日まで内局の人とは面識があり、海幕の方は山崎小五郎初代幕僚長以後、歴代幕僚長と面談の機会を得ていました。そのような訳で本日皆さん方にお話する機会を得たのは昭和27年以来の絆によるものと想い感慨深いものがあります。

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