第一章 海軍戦闘機隊の栄光と苦闘
3 硫黄島の攻防
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硫黄島の戦略的価値は、十九年七月マリアナ失陥後、わが航空作戦の前進基地及び本土防衛のための前哨基地として急に重要度を加えてきた。 (一)米機動部隊関東方面空襲 (二)硫黄島周辺米軍に対する航空攻撃 同特別攻撃隊は、二月二十一日朝、香取基地を離陸し、八丈島で燃料補給のうえ、正午から逐次出撃して、夕刻硫黄島周辺の敵艦船に突入した。 |
4 B29に対する本土防空
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米陸軍はB17、B24の後継機の開発を昭和十四年十二月に決定した。これがB29で、その試作第一号機は十七年八月に完成したが、暫くの間はエンジン・トラブルが絶えなかった。 (一) 中国大陸からのB29空襲
(二)マリアナ基地からのB29来襲 |
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島 名
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飛行場名
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部隊名
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進出時期
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| サイパン | イスレイ | 第七三爆撃航空団 | 昭和十九年十月 |
| グァム | 第二一爆撃隊司令部 | 司令部先遣班は十九年八月サイパンに到着 | |
| テニアン | 北 | 第三一三爆撃航空団 | 十九年十二月 |
| グァム | 北 | 第三一四爆撃航空団 |
二十年一月 |
| テニアン | 西 | 第五八爆撃航空団 | 同 三月 |
| グァム | 西 | 第三一五爆撃航空団 | 同 四月 |
| 五つの爆撃航空団は第二一爆撃団(Bombardment Command)の隷下であり、同爆撃対は第二〇航空軍(Airmy Air Force)に隷属していた。
米軍は第一回東京空襲の作戦計画を決定した。この計画は、一〇〜十二飛行隊(各飛行隊はB29九〜一一機)で、昼間九〇〇〇メートルからの高度から目視爆弾を行うもので、各機の携行爆弾は五〇〇〇ポンド(焼夷弾三〇%、五〇〇ポンド破裂爆弾七〇%)と予定されていた。ハンセル准将はB29一〇〇機以上の集結しようを条件としていた。
当時、マリアナに進出していたB29部隊は第七三爆撃航空団だけで、その保有機数は十一月十五日九〇機、十一月二十二日一一八機である。 十九年十一月一日の朝、サイパンを発進したF13(写真偵察用B29)は、九〇〇〇メートルの高度で東京上空に侵入し、写真偵察を実施した。これは、十七年四月ドゥーリトル爆撃隊の本土急襲以来初めての東京進入である。 東京初空襲(十一月二十四日) 第二一爆撃隊のB29一一〇機は、二七七.五トンの爆弾を搭載し、イスレイ基地を発進した。そのうち九四機が伊豆半島を北上し、富士山付近から東進して高度八九〇〇〜一〇〇〇〇メートルで昼過ぎ東京に侵入している。 主要な爆撃目標である中島飛行機武蔵製作所は、ほとんど雲におおわれていた、そのため、武蔵製作所を爆撃したのは二四機に過ぎず、六四機が東京市街地及び港湾に投弾し、六機は機材故障のため爆撃できなかった。 三浦半島方面上空で哨戒待機していた海軍機(雷電四七、零戦二七、月光一八、零夜戦一〇、彗星四、銀河二、彗星夜戦一−延機数)には会敵の機会はなかった。 米資料には、日本軍戦闘防空陣は、予想ほど恐ろしいものではなく、操縦者の練度、果敢性及び先方はまちまちであったと記されている。B29の損害は、二機損失、一一機損傷となっている。 わが陸軍防空戦闘機隊の被害は、自爆七機であった。 よく二十五日、二十六日もB29小数機(一,二機)で偵察のため関東地区に来襲した。三〇二空から延50機の戦闘機が邀撃したが、高高度高速のため捕捉出来なかった。このF13は連日のように写真偵察を行っている。時には一日に三〜四回単機で来襲することもあった。 B29の関東来襲の第二回目は十一月二十七日に行われた。マリアナからのB29空襲の第一段階作戦といえる二十年三月四日までの本土空襲概況は、下表のとおりである。 |
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期日
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時刻
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来襲数
(出撃数) |
爆撃高度
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主要爆撃目標
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同上損害
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邀撃状況
(邀撃主力は陸軍機) |
B29損害
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味方機損害
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適要
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| 19年 11・27 |
一二〇〇〜 約二時間 |
六二 (八一) |
高高度 | 中島武蔵製作所 | なし | 海軍二七機、密雲で接敵不能 | 不詳 | なし | 雲上レーダー爆撃 |
| 11・29 | 二三五〇〜〇四〇〇 | 三〇 | 高高度 | 東京都内 | 家屋九〇〇〇戸被害 | 夜間悪天候で、戦闘機は反撃不能 | 不詳 | なし | 夜間レーダー爆撃 |
| 12・3 | 一四〇〇〜一五三〇 | 七六 (八六) |
八八〇〇メートル | 中島武蔵製作所 | 工場被害小、市街地私娼四二四人 | 雷電二四、零戦二七、零夜戦八、月光一一、彗星三、銀河一、彗星夜戦三 | 損失六、損傷六 | 月光一未帰還、雷電一不時着水、一大破 陸軍損失六 |
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| 12・13 | 一四〇〇〜一五〇〇 | 七四 (九〇) |
高高度 | 三菱名古屋工場 | 大 | 二一〇空の零戦一四、紫電四、月光三、彗星四 | 損失四、損傷三一 | 工場建物の一八%破壊 | |
| 12・18 | 一三〇〇〜 約二時間 |
六三 (八九) |
一〇〇〇〇メートル | 同上 | 大 航空機生産渋滞 |
二一〇空の零戦一五、紫電八、彗星六、月光四 | 損失四 | 陸軍損失六 | 密雲でレーダー爆撃、12・15三三二空戦闘隊鳴尾に進出 |
| 12・22 | 同上 | 四八 (七八) |
高高度 | 三菱名古屋工場 | 小 | 二一〇空の零戦一六、紫電一一、彗星五、月光五、三三二空の雷電、零戦延二四 | 損失三 | 陸軍損失四 | 目標上空雲、レーダー爆撃 |
| 12・27 | 午後 | 三九 (七二) |
高高度 | 中島武蔵製作所 | 小 | 三〇二空の雷電二七、零戦八月光一〇等哨戒、会敵せず | 損失三 | 陸軍損失四 | |
| 20年 1・3 |
一四〇〇〜一五〇〇 | 五七 (九七) |
高高度 | 名古屋市街 大阪市街 |
市街地は相当の被害 | 三三二空の零戦六、雷電二、二一〇空の零戦一二、月光六、彗星九 | 損失五 | 陸軍損失二 | 各機二トンのM69焼夷弾を携行、都市焼夷弾爆撃 |
| 1・9 | 一三三〇〜一五〇〇 | 五二 (七二) |
高高度 | 中島武蔵製作所 名古屋 |
小 | 三〇二空の雷電二四、零夜戦七、月光九、銀河二、彗星夜戦九、二一〇空の零戦九、月光四、彗星一及び紫電隊 | 損失六 | 陸軍損失三 雷電二、零野戦一被弾 |
強風のためB29編隊乱す 中島工場爆撃は一八機のみ |
| 1・14 | 一四三〇〜一五三〇 | 四〇 (七三) |
高高度 | 三菱名古屋工場 | 軽微 | 二一〇空の零戦一三、月光三、彗星三、徳島派遣隊の紫電六、三〇二空の雷電五、零戦一、零夜戦三、月光一一、銀河二 | 損失五 | 陸軍損失一 | 伊勢神宮に投弾 |
| 1・19 | 一三三〇〜一四三〇 | 六二 (八〇) |
川崎明石工場 | 甚大 生産力の九〇%破壊 |
三三二空の鳴尾派遣隊の雷電七が明石工場攻撃中のB29を邀撃、二一〇空、三〇二空は会敵せず | 全機帰還 | 陸軍損失一 | B29三機が関東地区を陽動、高高度精密爆撃初成功 | |
| 1・23 | 一四三〇〜一六三〇 | 七三 | 高高度 | 三菱名古屋工場 | 小 | 二一〇空の零戦延一八、月光二、三〇二空は明治基地上空直衛、零夜戦五、彩雲一で米機を追撃 | 不詳 | 陸軍損失六 | 雲量九で二八機のみ爆撃 |
| 1・27 | 一四〇〇〜一六〇〇 | 五六 (七四) |
高高度 | 中島武蔵製作所 | 東京都内に相当な被害 | 三〇二空の雷電二七、月光一〇、彩雲二、零夜戦八、銀河二、彗星夜戦 陸海軍機とも活躍 |
損失九(七の記録もある) | 月光二、零夜戦一未帰還 陸軍損失一二 |
悪天候で爆撃は完全に失敗 |
| 2・4 | 一五〇〇〜一五四〇 | 六九 (一二九) |
神戸 | 相当 特に造船施設能力著しく減退 |
二一〇空の零戦七、彗星一、基地上空哨戒、徳島派遣隊の紫電九、零戦一は会敵せず | 損失一、損傷三五 | 陸軍損失三 | 約一三〇トン焼夷弾投下、三一三航空団初出撃 | |
| 2・10 | 一五〇〇〜一五四〇 | 八四 (一一七) |
高高度 | 中島太田工場 | 大 | 三〇二空の雷電三五、零夜戦一五、月光一三、銀河二、彗星九。茂原基地より二五二空の零戦も参加 | 損失一二、損傷二九 | 陸軍損失七 | B29被害大、夜間攻撃に移行の原因の一つ |
| 2・15 | 午後 | 八六 (一一七) |
高高度 | 三菱名古屋工場 | 中 | 三〇二空の雷電三九、零夜戦一九、月光一〇、彩雲一、彗星七で関東地区哨戒 | 損失一 | 陸軍損失一 | 名古屋工場爆撃は三一機のみ、他は浜松へ |
| 2・19 | 一四四〇〜一五四〇 | 約一〇〇 (一五〇) |
高高度 | 中島武蔵製作所 | 東京都内相当の被害 | 三〇二空は銀河二で哨戒、月光一二、彗星五で邀撃 | 不詳 | 陸軍損失四 | 天候不良で予備目標の東京、港湾を攻撃 |
| 2・25 | 一四二〇〜一五四〇 | 一七二 (二三九) |
高高度 | 東京 | 都内大 約二万戸焼失 |
機動部隊艦上機攻撃に引続き、焼夷弾攻撃。大雪のため邀撃不能 | 損失六 | なし | 各機五〇〇ポンド爆弾一コの他焼夷弾、レーダー爆撃四五四トン |
| 3・4 | 〇八三〇〜 約1時間 |
一五九 | 高高度 | 中島武蔵製作所 | 軽微 | 悪天候、出撃不能 | 不詳 | なし | 雲上レーダー爆撃五〇〇トン、不成功 |
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十九年十一月アリアナ基地から日本本土爆撃を開始した時の、第二一爆撃隊に与えられた第一任務は、日本航空機工業の爆破であった。しかしながら、過去三ヶ月間の爆撃の結果は、主要目標とした九工場のうち、川崎航空機明石工場の被害が大きかったほかには、三菱重工業名古屋発動機と中島飛行機太田製作所が爆撃被害により生産を減少した程度であった。
戦闘機によるもの 二九機 爆撃実施上の最大の障碍は気象であった。航行間しばしば遭遇した激しい気象条件により、燃料消費が増大し、編隊は分散した。また、目標上空の気象が精密爆撃に適していたことはほとんどなかった。レーダー爆撃は滅多に成功しなかった。さらに、日本上空の一五○ノット以上のジェット気流は爆撃を著しく困難にした。 (三)B29の都市焼夷弾攻撃開始 |
5 沖縄航空決戦
| 二十年三月に入るや、戦局はいよいよ切迫して硫黄島の敗色はもはや決定的となり、三月十日から東京をはじめ主要都市に対する激しいB29の夜間焼夷弾攻撃が始められた。 (一) 九州沖航空戦 (二) 米機動部隊の南西諸島襲来 (三)第二一爆撃隊隊B29、第七戦闘機隊P51の本土来襲
四月一二日、東京および郡山に対するB29、P51空襲 午前、B29 一七〇機、P51 一〇二機の戦爆連合で、中島武蔵製作所と郡山の工場地帯を空襲した。横空の戦闘機三機、二五二空の零戦四機、三〇二空の延六五機が邀撃し、わが方は六機を失っている。 (四) 米軍沖縄に上陸 (五)菊水作戦 |
| 五月二十七日菊水八号作戦以後特攻攻撃は兵力不足のため衰えていった。遂に機上作業練習機白菊までがかり出されるようになった。 わが航空攻撃が天候に阻害されている間も、南九州各基地は、六月二日F6F、P51等一五〇機、六月三日大型機五〇機、小型機八〇機が来襲した。三日、わが索敵機は沖縄の北東〜東方、一一〇〜七〇カイリに二群の米空母部隊を発見した。米側資料によれば、これは米第一高速機動群と第四高速機動群で、後者が南九州を空襲した。これは、五月二十七日スプルーアンス大将から艦隊の指揮を継承したハルゼー大将が真先に手掛けたものである。 一方、陸上のわが軍は刀折れ矢尽きて、小禄飛行場を死守していた太田実少将(戦死、中将)の率いる沖縄特別根拠地隊は、六月十日、戦火に巻込んだ沖縄県民の協力を報告し、その将来を憂えた切々たる訣別電を発して、全軍玉砕した。また六月二十二日、牛島満第三十二軍司令官と長勇参謀長は磨文仁の高地において自刃し、ここに九旬にわたる激戦は遂に終った。 六月十五日以来降雨のため順延されていた菊水十号作戦が二十一日再興され、約六〇機で沖縄周辺艦船に対する夜間攻撃を実施し、二十二日昼夜にわたり桜花、爆戦特攻計一四機を含む約一三〇機が艦船攻撃に出撃した。第六航空軍も二十一、二十二両日計十五機の特攻が突入している。 二十二日は、延四五〇機のB29が中部、近畿、中国の各地に来襲し、うち三五〇機は呉方面を爆撃した。 大本営海軍部は、沖縄陥落が明確となった六月二十一日、この菊水十号作戦をもって沖縄方面昼間強襲を打切り、その後は主として夜間攻撃を続行することにした。事実上沖縄航空決戦を断念し、ここに本格的に本土決戦準備に移行する決意を固めた。 結局、海軍延約八、五八六機、陸軍延二千数百機合計一万機を超える飛行機を投入した沖縄航空作戦も、遂に目的を達することはできなかった。 沖縄作戦で特攻を実施した機数は海軍九八三機、陸軍九三二機で、体当り機数一三三、至近となった機数一二三、奏効率一三.四%、被害艦数二二九隻となっている(「日本海軍航空史」)。 米側の艦艇等の損害は、「米国海軍作戦年誌」によれば沈没二四隻、損傷三四九隻(損傷延三八〇隻)で、このうち日本軍によるものは沈没二四隻、損傷二一八隻(損傷延二四〇隻)である。このうち、特攻機によるものは沈没一五隻、損傷一七四隻(損傷延一九二隻)で、わが戦果の八〇%は特攻機によるものである。ただ「米国海軍作戦年誌」には、上陸用舟艇以下及び海軍在籍艦船以外の損害は含まれていないので、実数は相当上回るものと思われる。(「ニミッツの太平洋海戦史」によれば、日本軍飛行機による沈没二六隻、損傷三六八隻を超えると述べられている。)米艦艇乗員の戦死、行方不明四、九〇七名、負傷者四、八二四名となり、空母「フランクリン」は一隻で八〇〇名以上の戦死者を出している。 |
6 連合軍の本格的本土航空攻撃
| (一)B29による大規模空襲 米軍の沖縄攻略作戦の進展に伴い、このための支援任務から開放されたB29部隊第二一爆撃隊は、五月二十四日以降本来の任務の日本本土戦略爆撃任務に復帰した。 四月中にB29部隊はインドから第五八爆撃航空団、米本土から第三一五爆撃航空団が増強されて、B29五〇〇機以上での攻撃が可能となった。 これらのB29を多数使用し、大都市を爆撃した状況は次表のとおりである。 |
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日時
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来襲数(出撃数)及び爆撃高度
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使用弾量
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爆撃目標
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同情損害
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邀撃状況(主力は陸軍機)
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B29の損害
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わが飛行部隊の損害
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摘要
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| 20年 5.14 昼間 |
(四七二)3,700〜6700メートル | 焼夷弾2,515トン | 名古屋北部 | 3.15平方マイル破壊 | 海軍機は出撃せず | 損失10 損傷46 |
不詳 | |
| 5.17 未明 |
四五七(五二二)低高度 | 焼夷弾3,609トン | 名古屋南部 | 3.82平方マイル | 損失三(機材故障) | 不詳 | これで,名古屋は目標リストより除外 | |
| 5.24 未明 |
五二〇(五六〇)2,400〜5,000メートル | 焼夷弾3,645トン | 東京南東部 | 5.3平方マイル6.4万戸 | 横空の月光、彗星一、三〇二空の月光八、彗星七、銀河二、零戦二 | 損失一七 損傷六九 |
不詳 | |
| 5.25 夜 |
五〇二 | 焼夷弾3,262トン | 東京 | 16.8平方マイル15.7万戸、皇居内に延燃 | ||||
| 5.29 午前 |
B29,P51連合 |
焼夷弾25,70トン | 横浜 | 6.9平方マイル(横浜の3/1) | 三〇二空の雷電三、零戦八,二五二空の零戦一〇、邀撃不徹底 | B29損失五、損傷一七五、P51損失三 | 不詳 | 本日で京阪地区の主要都市攻撃完了 |
| 6.1 午前 |
B29、P51連合 |
焼夷弾2,700トン | 大阪 | 3.15平方マイル | 主力(陸軍機)の反撃は強烈と米側資料にあり | P51損失27 (雲中で空中衝突) |
不詳 | P51は一四八機出撃中二七機のみが合同(途中前線に突入のため) |
| 6.5 午前 |
四七三(五三一)4,200〜5,500メートル | 焼夷弾3,077トン | 神戸 | 4.35平方マイル | 主力(陸軍機)の反撃は強烈と米側資料にあり |
損失一一 |
不詳 | 本日で神戸は目標リストより除外 |
| 6.7 午前 |
(四五七)5,500〜7,000メートル | 焼夷弾2,540トン一部1,000ポンド高性能爆弾 | 大阪及び大阪造兵巌 | 2.21平方マイル | 損失一一 (高射砲) |
不詳 | P51一三八が出撃、曇りのため掩護できず | |
| 6.9 午前 |
約一三〇 | 焼夷弾 | 尼崎、明石一部名古屋 | 三三二空の零戦,雷電,月光,彗星計二〇 | 不詳 | 不詳 | ||
| 6.10 | B29,P51連合B29約500 | 通常爆弾 | 千葉,三浦半島,京阪地区の工事施設,工場 | 被害は目立たず | 6月5日付の横鎮第三航空部隊(七一航戦主体の戦闘機部隊)の零戦一〇七、紫電二四、雷電一一、彗星夜戦六機で邀撃 | 不詳 |
損失 |
対象地域広範囲 |
| 6.15 | 四四四(五一六) | 焼夷弾3,157トン | 大阪、尼崎 | 1.9平方マイル0.59平方マイル | 三三二空の零戦一八、雷電九発進、会敵せず | 不詳 | 不詳 |
| この六月十五日の空襲をもって、米軍は日本本土の市街地攻撃の第一段階を終了した。空襲による主要大都市の破壊は、次のとおり市街地面積の四一%に及び、米軍が計画した目標の九〇%以上が破壊されている。 都市名 市街地面積 計画面積 破壊面積 東京 一一〇.八 五五 五六.三 名古屋 三九.七 一六 一二.四 神戸 一五.七 七 八.八 大阪 五九.八 二〇 一五.六 横浜 二〇.二 八 八.九 川崎 一一.〇 六.七 三.六 計 二五七.二 一一二.七 一〇五.六 (単位平方マイル)」 (二)艦上機、小型陸上機の来襲 1、四、五月来襲状況 沖縄作戦が開始されると、米機動部隊艦上機の来襲は九州方面に限定される傾向となった。 二十年四月十五日午後及び十六日の午後、それぞれ約一〇〇機の艦上機が南九州に来襲して、鹿児島及び宮崎南部地区の飛行場を爆撃している。 五月に入ってB29の大都市空襲が再開されても、機動部隊艦上機の来襲はすべて九州方面に限られた。 五月八日 昼前、硫黄島発信のP51約五〇機が九十九里浜から侵入して、千葉付近の工業地帯を銃撃した。三〇二空では零戦八機を東京西方に上げたが会敵していない。 五月十三日 索敵攻撃に出た彗星夜戦が、早朝佐多岬の一四〇度一三〇カイリに空母四隻を含む米機動部隊を発見、天航空部隊(五航艦及び三航艦をもって、五月十二日付で編成された「連合航空隊」)はさらに彩雲五機を索敵触接にあてた。 米艦上機は〇六二二から〇八〇〇までに第一波の約三〇〇機が、次いで一一二〇から一三〇〇までに第二波の約二二〇機が、そのあと夕刻までに第三波約一〇〇機が九州南部を襲った。米機はおおむね鹿児島及び宮崎南部方面から侵入して鹿屋、鹿児島、富高、熊本、出水、大分、佐伯の各飛行場に対して銃爆撃を加えた。艦上機の来襲は四月十五日、十六日の空襲以来およそ一カ月ぶりのことである。 わが方は午後索敵に出た紫電が米機動部隊二群を、同夜索敵機が四群を発見し(都井岬の一〇七〜一五六度間)、十四日〇三三〇陸軍重爆一二機と銀河五機が出撃したが、戦果は確認されていない。 七二一空爆戦特攻二八機に零戦四〇機の制空隊をつけて〇六〇〇出撃させたことは既に述べた。 五月十四日 午前、敵艦上機延約三〇〇機が九州各地に来襲した。この機動部隊に対して、六三機から成る攻撃隊に制空隊をつけて薄暮特攻を実施しようとしたが、離陸直後に上空で待受けていた米戦闘機の降下急襲に遭い攻撃を中止している。 五月十七日 この日名古屋に対してB29による焼夷弾攻撃を加えられ、一方、関東地区にはP51約四〇機がB29に誘導されて来襲している。昼過ぎ相模湾方面から侵入した米機は、主として京浜南西方の飛行場施設を銃撃した。三〇二空(厚木)から雷電九機、零戦一〇機が上空哨戒に当たったが、厚木基地はP51十数機の攻撃を受けて五機炎上の損害を出した。二五二空(茂原)からも零戦八機が邀撃に発進したが会敵していない。 五月二十四日 東京に対するB29五二〇機の大規模空襲が行われた。この日天航空部隊は沖縄東方約三〇カイリの米機動部隊に対して、「菊水七号作戦」を発動してこれを撃砕しようと試みたが、機先を制するように来襲した艦上機の攻撃にかき乱されて触接を失い、機動部隊攻撃の機会を失っている。同日戦爆連合の約一二〇機が志布志湾と薩摩半島方面から侵入して、午後二時間にわたって九州南部の飛行場を攻撃した。 五月二十五日 夜間のB29五〇二機の東京大空襲に先行して、正午頃P51約六〇機が来襲した。B29に誘導されて伊豆諸島沿いに北上した編隊は、海上で二分して一隊が房総から霞ヶ浦方面を攻撃して勝浦方面に去り、他は伊豆半島から侵入して小田原、八王子、東京北部を襲ったのち相模湾に去った。これに対して、三〇二空が零戦一一機、雷電五機を発進させている。 五月二十八日 B29に誘導されたP51約三〇機が、昼過ぎ九十九里浜から侵入し千葉、茨城方面の飛行場を銃撃した。二五二空の零戦一〇機は茂原基地から発進して、霞ヶ浦空を攻撃中のP51二十数機を発見攻撃した。この日、南九州方面にも午前P47、P51約七〇機が来襲している。 2、六月急襲に来襲激化 六月二日 午前、F6F、F4Uなど艦上機約一五〇機が南九州(笠原、出水、宮崎、串良、知覧)に来襲した。この日の午後PBM飛行艇が戦闘機に掩護されて鹿児島湾に着水、不時着パイロットを救助のうえ退去している。米軍の不時着パイロットの救助は徹底していて、終戦まで続けられた。 三四三空戦四〇七飛行隊長林啓次郎大尉は紫電改二一機(戦四〇七、戦七〇一各八機、別動直掩隊戦三〇一の五機)を率い、大村基地を発進、〇九五五鹿屋上空高度六、〇〇〇メートルで、攻撃終了後集合中の艦上機F4U一六機を発見、直ちに突撃に移った。高度差四、〇〇〇メートル、F4U群の後方から接敵し、完全な奇襲で、たちまち一三機を撃墜したと報じている。 戦三〇一の五機(指揮官飛行分隊長松村正二大尉)は、本隊の上空掩護中、高度三、五〇〇メートルを南進中の別のF4U八機を発見し、これを急襲して五機の撃墜を報じた。 わが方は二機未帰還となった。 ハルゼー提督麾下の飛行機隊に衝撃と警告を与えた紫電改隊のこの日の指揮官林啓次郎大尉は、去る四月二十一日鹿児島県出水上空でB29一機を撃墜後自らも被弾墜落、壮烈な戦死をとげた戦四〇七飛行隊長林喜重大尉の後任隊長であった。この林啓次郎大尉も、六月二十二日喜界島上空でF4U群と空戦し、帰還しなかった。 |
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月日
|
時刻
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来襲機種
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機数
|
来襲地
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摘 要
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6・3
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〇七五八〜 〇九一五 |
F4U F6F |
約八〇
|
南九州 | |
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6・6
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一四〇〇 | 大型機 小型機 |
十数機
約五〇 |
南九州 | |
|
6・8
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一二三〇 | 艦上機 小型機 |
延七八〇
三群 |
南九州 | 鹿屋の戦闘機兵力の大部、喜界島方面米戦闘機制圧に出撃、会敵せず。基地帰投直後襲撃を受け被害大。 |
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6・10
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〇七五〇 午後 |
B24、P47、F6F、P47 |
約七〇
一六 |
南九州 南九州 |
|
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6・11
|
〇八五〇 | B24 P47 |
一一
三〇 |
鹿児島 基地 |
零戦四〇機邀撃、戦果なく、未帰還四機。 |
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6・12
|
一一五〇 | P47 F4U |
約三〇
|
鹿屋 |
| (三)B29機雷敷設による海上交通路の封鎖 二十年三月二十七日深夜、第二一爆撃隊は日本の内海に対する機雷敷設作戦を開始した。下関海峡に初めて機雷が投下された。この日以来戦争の終末までB29の機雷敷設が続いた。攻撃の重点は関門地区から次第に日本海側に移行し、さらに北部朝鮮の諸港にまで拡大された。 この一連の機雷敷設に従事したB29は、延一、五二八機に及び、投下機雷は一二、〇五三個を数えた。この結果、既に行詰っていた海上交通路の確保はますます至難となり、わが国力は戦争の継続を不可能とする程に低下した。 (四)中都市に対する空襲 (1) 多数都市に対する同時空襲(六月中旬) B29による大都市焼夷弾攻撃は、二十年六月十五日の大阪空襲を最後として一段落した。これまでの成果から見て、米軍は引続き中都市に対する空襲を開始した。 六月十七日夜、B29四五六機(出撃数四七七)は、大牟田、浜松、四日市、鹿児島を同時に焼夷弾攻撃した。日本軍の抵抗はほとんどなく、投下弾量は三、〇五八トンという大量であった。初めて試みた多数都市の同時空襲に成功した米軍は、このあと戦争の終末に至るまで、同様方式の空襲を継続することとなる。 六月十七日以降、中小都市の焼夷弾攻撃は一六回、五八都市に対して行われ、延八、〇一四機で五四、一八四トンの焼夷弾を投下している。 これに対する日本軍の抵抗はほとんどなく、B29は七月二十六日大牟田上空で一機撃墜されたほか、操作上の誤り又は不明の原因により一八機を失い、六六機に損傷を受けた程度である。 (2) 六月下旬〜七月上旬の来襲状況 六月下旬から七月上旬に至る間の小型機の来襲状況を地区別に分類すると次ページのとおりである。 |
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月 日
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九州地区
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関東地区
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その他
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機 数 |
方 面
|
機 数 |
方 面
|
機 数 |
方 面
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六・二〇
|
三〇
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大村
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|
|
|
|
|
二一
|
四〇
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南部
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二三
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三〇
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西部
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七五
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茨城
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七・ 一
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一三〇
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鹿児島
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八〇
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浜松
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三
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一〇〇
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各地
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四
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一二〇
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茨城・千葉
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五
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二〇〇
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西部
北部 |
一〇〇
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茨城・栃木・千葉
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六
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一六〇
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鹿児島
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九〇
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茨城・千葉・埼玉
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七
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二〇
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西部
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八
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一五
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西部
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一五〇
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茨城・千葉・京浜
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九
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四〇
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浜松
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〃
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三〇
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各地
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五〇
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京阪神
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| (五)米機動部隊の本土攻撃 十次にわたる菊水作戦を中心とした沖縄攻撃において貴重な航空兵力の多くを消耗した海軍は、このあと大規模な作戦を避けて、夜間少数機による沖縄方面の攻撃に終始しており、極度の燃料欠乏のために小型機に対する邀撃も中止して、残存戦力の温存を図らざるを得なくなった。 七月に入ると、米軍のわが本土空襲は一段と激しさを増した。とりわけ沖縄の陸上基地からの戦爆連合による九州方面攻撃及び硫黄島を基地とするP51の関東、東海、近畿方面への空襲が多くなっている。 七月十日、関東地区来襲 六月初めに九州を襲ったあと暫く消息を絶っていた米機動部隊は、レイテ湾で補給整備ののち、十日朝には房総沖、東京を隔たる一七〇カイリの海域に到達していた。同日朝、米機動部隊艦上機は関東一円の航空基地及び一部の市街地を襲い、夕方までに八波延約一、二〇〇機に及んでいる。 各航空基地は航空機による邀撃を行わず、もっぱら分散、遮蔽によって兵力温存に努めた。 同じ日、戦爆連合約一四〇機が九州西部を襲った。また、阪神方面にもP51約一五〇機がB29数機に誘導されて来襲している。そのほか、同日未明のB29約七〇機による仙台焼夷弾攻撃をはじめとして、B29の要地偵察、飛行艇の洋上哨戒も従来どおり続行されている。わが方が兵力の温存に徹して邀撃を控えるに伴って、米軍の本土に対する攻撃はますます強化されるようであった。 七月十四日、十五日 北海道と東北の各地が艦上機の攻撃に見舞われただけでなく、白昼戦艦等の艦砲射撃を受けるようになった。 十四日の空襲の結果、三沢基地における陸攻の被害が大きく、同地で七月十七日に実施の予定で準備を進めていた「剣」作戦部隊によるサイパン攻撃は、約一ヶ月延期されることとなった。 七月十六日 正午頃P51約一〇〇機が東海地区に来襲し、また同夜B29約一九〇機が沼津、平塚方面を焼夷弾攻撃している。 七月十七日 早朝から艦上機が関東、東北方面に来襲、その機数は一〇〇〇頃までに四〇〇機に達した。米機動部隊の位置は、同日〇六〇〇頃金華山の一三〇度一〇〇カイリと推定された。この夜遅く茨城北部地区に艦砲射撃が加えられている。 七月十八日 午前小型機約八〇機が南九州に来襲し、午後艦上機約八五〇機が関東地区の航空基地及び軍事施設を攻撃した。 七月十九日 朝、P51が東海地区と近畿地区に、それぞれ約六〇機で来襲した。この夜日立、福井及び尼崎の各市がB29の空襲を受けている。 このような状況を見ては、海軍は兵力温存一筋を決め込んでおられなくなった。七月二十日、海軍総隊は従来の方針を緩和し、米空母又は艦砲射撃を行う米艦に対しては、好機を捉えて奇襲攻撃するよう命じている。 七月二十四日 朝から夕方にかけてP51延約三〇〇機が浜松方面に来襲し、さらに朝から昼過ぎまでB29延七五〇機が名古屋、阪神、中国方面に来襲した。 この日は、このほかに米機動部隊の大空襲があった。四国南東方海域から発進の米艦上機五波延約一、一五〇機が、名古屋以西の西日本航空基地及び艦船に対して攻撃を加え、呉軍港在泊艦艇の大部分が被害を受けている。 この艦上機に対して、午前大村基地から三四三空の紫電改隊が邀撃にあがった。 この日の全可動機は、三コ飛行隊全部で僅か二一機に過ぎなかったが、源田司令は発進させた。地上指揮所から無線電話で巧みに指揮誘導し、豊後水道佐田岬付近上空で南下する米大編隊の後尾編隊と会敵させた。戦七〇一(飛行隊長鴛淵大尉)、戦四〇七(飛行隊長光本卓雄大尉)両飛行隊が突撃し、たちまち激戦が展開された。当初上空直掩の任に就いていた戦三〇一飛行隊(飛行隊長菅野大尉)は、敵の後続編隊に攻撃を指向した。三コ飛行隊は約三倍の敵機と取組み、僅か十分足らずの戦闘でF6F、F4U、SB2C併せて一六機の撃墜を報じて帰投した。わが方の未帰還機は六機であり、その中には総指揮官鴛淵大尉と「空の宮本武蔵」といわれていた空戦の達人武藤金義少尉が含まれている。 この日の上空直掩隊の指揮官菅野大尉は、八日後の八月一日、B24、P47、P51の戦爆連合大編隊邀撃のため、紫電改二〇機を率いて出撃した。屋久島上空で交戦中、二〇ミリ機銃のトウ内爆発を起し、速力が急減した。安否を気遣って近寄った列機(堀光雄飛曹長、戦後三上と改姓)を「俺に構うな、攻撃せよ」と斥けた菅野大尉は遂に帰らなかった。これで、三四三空紫電改隊初代の飛行隊長は三名とも戦死した。 三四三空は、三月十九日以来米軍の精鋭、F6F、F4U、P51、B29を相手に撃墜総機数約一七〇機の戦果を記録した。しかし、この輝かしい戦果の裏には、四人の飛行隊長をはじめとし、七五人の戦闘機搭乗員の尊い犠牲者を出している。 戦争末期米軍が制空権を握っていた悪条件のもとで、紫電改隊が海軍戦闘機隊の真価を発揮し得たのは、零戦や雷電の搭乗員が羨む傑作機紫電改の卓越した性能によるものであることは事実である。しかし、これだけではなかった。司令源田大佐の優れた作戦能力と統率力がなかったならば、あれ程の戦果を挙げることはできなかったであろう。 この源田大佐は、三四三空司令として着任以来、次のことを行った。 (1)戦闘訓練の最重点課目として編隊空戦法をマスターするため、半年間は戦闘に加入せず、錬成訓練に専念することを告げた。 (2)情報収集の一法として、指揮所の通信網を可能な限り整備させた。 次に、地上指揮所から飛行機隊を直接指揮するため、戦闘機の機上無線電話を改善整備させている。これにより、無線電話が有用な兵器に一変した。これは空対地の電話通信だけでなく、空対空の電話連絡も可能になり、時には米軍機の電話も傍受することもあり、電話交信では隠語を使用することになった。 源田司令はこの無線電話で指揮したが、空中指揮官の行動を束縛することはしなかった。 (3)戦力を無駄に消耗させるような作戦指導は一度も行わなかった。如何に勇猛果敢で任務達成に積極的な指揮官であっても、戦力を無駄に消耗させることは、航空作戦の本質を理解しない、極言すれば無能な作戦指導といい切ってもよい。 (4)源田司令は部下に対して指導はしても、叱ることはなかった。夕食後、周囲に集まった幹部とトランプしたり、雑談の間に、当時の作戦方針や戦法について、古今東西の戦史、戦訓を例にして静かに語った。これはまた一方通行の講話ではなく、部下の話をも聞く対話でもあった。 この三四三空を含め、海軍戦闘機隊は、決号作戦に備え極力兵力を温存するよう指示されていたので、反撃は散発的にしか行われず、日を追う毎に敵の本土空襲は激しくなっていった。 七月二十五日から終戦まで、米機動部隊、マリアナ基地及び沖縄からの本土来襲状況は、当時の大本営報道及び五航艦作戦記録などによれば、次のとおりである。 |
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日
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マリアナ方面
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機動部隊
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沖縄方面
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総計
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機種機数
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攻撃概要
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機種機数
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攻撃概要
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機種機数
|
攻撃概要
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7・25
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B29一〇〇 | 川崎、名古屋、中国、近畿地区 |
四九〇
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〇六二〇以降東海地区から中国まで | (大)一〇〇 (小)四九〇 |
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26
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B29五〇 B29六〇 B29一五 |
二三〇〇から松山 二三〇〇から大牟田各地 |
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(大)一二五 | |||
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28
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P51二四〇 B29三四〇 |
〇九四五〜一二〇〇 二十八日夜〜二十九日朝にかけて東北東部、東海、中部、四国各地 |
一〇八〇
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〇六二〇〜一二〇〇中国、四国、東海地区 | 中小型一三六 | 九州各地 | (大)三四〇 (小)一四五六 |
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29
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B29二〇 B29三五 B29一〇 |
一二五〇呉地区 朝鮮、西日本に機雷投下各地偵察等 |
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B24三〇 小型六〇 中小型三〇 |
一二五〇呉地区 南朝鮮攻撃 |
(大)九五 (小)九〇 |
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30
|
P51三五〇 B29一〇 |
早朝から近畿各地 関東各地夜間来襲 |
七〇〇
|
〇五二〇から関東、静岡地区 | 飛行艇一五 中小型三五〇 |
二一五〇から九州各地機雷投下 一四〇〇から夕刻まで南九州各地 |
(大)二五 (小)一四〇〇 |
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31
|
B29一八 | 関東信越地区偵察ビラ撒布等 |
一三
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〇二〇〇〜〇四〇〇中部沿岸 | 中小型二五〇 大型六 |
船舶を主とし一部市街地 | (大)二四 (中小)二六三 |
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8・1
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P51二〇 B29六〇〇 |
〇九二〇来襲阪神地区航空基地、交通施設 夜→二日朝関東、東海、中国地区 |
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B29一五 P38六〇 P47P51八〇 |
一一〇〇以降九州各地航空基地、船舶、工場 | (大)六一五 (小)一六〇 |
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|
2
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PBY二 P51六〇 |
一〇四〇〜淡路島 京阪神地区 |
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(大)二 (小)六〇 |
|||
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3
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P51一〇〇 B29数機 |
関東地区飛行場市街 |
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(大)三 (小)一〇〇 |
|||
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5
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P51七八 B29四〇〇 |
一一四五〜一二五〇 関東地区 二一三〇〜六日〇三〇三まで東部、中部、四国の中小都市 |
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P38八 中小型一四〇 〃三八〇 |
朝、偵察 南九州地区 九州全域航空基地 |
(大)四〇〇 (中小)六〇六 |
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|
6
|
P51一二〇 B29四 B29数機 |
〇八三〇〜関東地区 〇八〇〇広島に原子爆弾投下 |
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(大)六 (小)一二〇 |
|||
|
7
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B29七〇 P51三〇 B29三五〇 |
〇九三〇〜豊川地区 西日本地区 |
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(大)四二〇 (小)三〇 |
|||
|
8
|
B29一〇〇 | 東京地区工場地帯 |
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戦爆連合二六〇 | 北九州要地の飛行場 | (大)一〇〇 (中小)二六〇 |
|
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9
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B29一〇〇 B29数機 |
尼崎付近海南地区 長崎に原子爆弾投下 |
一七〇〇
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九波に分れ、神町、松島、八戸基地等 | (大)一〇三 (小)一七〇〇 |
||
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10
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B29一〇〇 P51五〇 |
〇九二〇〜東京北部工場地帯 |
一八〇(朝日)
一六〇〇(上奏書) |
〇六〇〇〜〇九〇〇房総半島、霞ヶ浦の飛行場、軍事施設及び奥羽地区来襲 | B24四〇 B25四〇 中小型一三〇 |
九州各地飛行場、基地、船舶攻撃 熊本、大分焼夷弾攻撃一四〇〇まで |
(大)一〇〇 (中小)一九一〇 |
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12
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中小型二〇〇 中小型三九 |
〇五四〇〜九州各地交通施設及び市街地 〇九四〇松山付近 |
(中小)二三九 | |||
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13
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六〇〇(朝日)
八〇〇(上奏書) |
早朝関東一円の航空基地、一部市街地 | (小)八〇〇 | ||||
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14
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P51一〇〇 B29二五〇 B29一五〇 B29一〇〇 |
一〇〇〇〜三重、愛知、岐阜 一一四〇〜関東、福島、新潟 九州地区及び広島地区 一二三〇〜大阪地区 |
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B29一五 中小型七〇 |
〇九〇〇〜近畿地区 | (大)五一五 (中小)一七〇 |
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15
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二五〇
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〇五三〇〜関東地区飛行場、市街地 | (小)二五〇 | ||||
7 終戦
| 八月十五日の正午、終戦の大詔が下った。 この日の夕刻、停戦命令に先立ち、第五航空艦隊司令長官宇垣纒中将は、多数の殉忠の将士のあとを追って沖縄の米艦に突入し、特攻作戦に終止符を打った。 そして同じく、特攻作戦の創始者と伝えられた軍令部次長大西瀧治郎中将も、十六日払暁、次の遺書を残して割腹自刃を遂げた。 「特攻隊の英霊に曰す、善く戦いたり。深謝す。最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり。然れども其の信念は遂に達成し得ざるに至れり。吾れ死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす。・・・・・・」 終戦時に残った海軍兵力は次のとおりである。 (1)航空機 戦闘機 一、五七三、艦攻・艦爆 七一六、陸攻・陸爆 三四三、その他の実用機 八三九、練習機 三、一二七 計六、五九八機(「航空本部整理部記録」) (2)艦艇 空母 六、戦艦 四、巡洋艦 一一、駆逐艦 四一、潜水艦 五九、その他省略(戦史叢書「海軍軍戦備」) しかし、空母は全部大中小破、戦艦は三隻大破着底、一隻中破、巡洋艦は二隻だけが健在、燃料も欠乏し、ほとんど戦力を喪失していた。 |