はじめに
このページは、管理人である先任搭乗員の伯父である一人の航空機搭乗員を中心に、先の戦争で命を落とされた方々の慰霊を目的としたページです。
このページは、戦争を賛美するものでもなく、戦争反対を声高に訴えるものでもありません。
このページは、ただ、「忘れじの心」を表現したページです。
慰霊とは何でしょうか。
今や、先の戦争は、生存者も少なくなり、戦没者の親の世代はおろか、兄弟姉妹の世代も年老い、多くの方がなくなられ、「戦争を知らない子どもたち」も孫のいる世代となり、もはや「祖父たちの戦争」になっています。
このページで取り上げる、また、取り上げていく予定の航空機搭乗員の多くは、若くして戦死したために結婚することも、子どもを残すこともなく、内地で、中国大陸で、西太平洋で、南太平洋で、様々なところで無念の死を遂げました。
彼らの親は既になく、兄弟姉妹たちも年老い、彼らの記憶は遠く忘れられようとしています。私たちは、墓石や数少ない写真でしか彼らを知りません。私たちは彼らの肉声を聞いたことがありません。私たちは彼らの笑い声を知りません。
戦闘を中心とした記録では、彼らは一個の記号であり、彼らは一個の軍人であり、戦果や戦死状況でしかありません。
しかし、彼らは「生身の人間」だった!
笑いもすれば泣きもする。悔しいこともあれば、楽しいこともある。一日一日の、瞬間瞬間に、喜びと悲しみがあり、出会いがあり、別離があった。慣れない酒を飲んで反吐を吐くこともあり、航空機に搭乗して反吐を吐くこともあった。背伸びしてみせることもあれば、落ち込むこともあった。
彼らは人間だった!
彼らは戦争でもなく、彼らは侵略でもなく、彼らは戦果でもなく、彼らは墜落地点でもなく、彼らは兵器でもなく、彼らは記号でもなかった。
彼らは一人の人間だった。
記憶が風化しつつある今、彼らを思い出させるのは記録だけしかありません。
けれども、記録は。彼らは「生きていた」記録であり、「死んだ」という記録であります。
私たちは、記録を見ることによって、彼らの記憶することができます。
忘れ去られることほど辛いことはありません。
何も誉めたり、貶したりすることはありません。
ただ、彼らが人間として生きていたことを忘れないでいたいのです。
「どうか忘れないで」
忘れないこと、時々思い出すこと、記憶にとどめること。それが慰霊です。
「忘れじの心」
忘れない、彼らが生きていたことを忘れない。
このページは、作戦や兵器に対する評価、戦果にはこだわりません。
もちろん、彼らが搭乗した機体や艦の使い方、どんな役割を果たしていたかということについては書いていきます。
けれども、ハードとしての兵器には重点を置くことはありません。
あくまでも、そのときの状況を浮かび上がらせるために、兵器について記す必要があるから、記録するのです。
戦没者を取り上げるページではありますけれども、このページでは、いっさいの過剰なあるいは偏向のある思想や信条、戦争・作戦・戦闘に対する評価は出来る限り避けていきたいと考えています。
繰り返します。
このページは「忘れじの心」を表現したページです。
戦没者、死者をいたわり、慰霊するページであり、「忘れないこと」「風化させないこと」を目的としたページです。