呉市海事博物館 提供

 
せんかんやまとがしずんだ()

 

 

 

(がつ)()にお(かあ)さんに()んでもらってください

 

(さく) (なか)(がわ)(ひで)(ひこ)

() (なか)(がわ)(けん)()(ろう)(しょう)(がく)(ねん)(せい)

 

目次(もくじ)

 

1  ようこそ大和(やまと)へ!

2  小学校(しょうがっこう)時代(じだい)

3  中学校(ちゅうがっこう)時代(じだい)

4  海軍(かいぐん)入隊(にゅうたい)

5  海軍(かいぐん)生活(せいかつ)

6  大和(やまと)()った()

7  出港(しゅっこう)

8  沖縄(おきなわ)出撃(しゅつげき)

9  大和(やまと)最期(さいご)

10 重油(じゅうゆ)(うみ)

()わりに

(とう)さんお(かあ)さん()け「海軍豆(かいぐんまめ)知識(ちしき)

 

 

 

1 ようこそ大和へ!

 

「ようこそ()(まと)へ!」

これがぼくが戦艦(せんかん)大和(やまと)()った(とき)()いた(さい)(しょ)(こと)()でした。

どうですか?非常(ひじょう)にスマートな挨拶(あいさつ)ですよね。背筋(せすじ)をピンと()ばした水兵(すいへい)がきりっとした表情(ひょうじょう)敬礼(けいれい)しながら()ったこの言葉(ことば)でぼくは大和(やまと)(むか)えられたのです。

(おお)きく(しん)()(きゅう)して一()(かん)(ぱん)(あし)()()れたぼくは、(いま)にも()しつぶされそうになるほどの(おお)きさの主砲(しゅほう)艦橋(かんきょう)見上(みあ)げて「よーし!ついにあこがれの戦艦(せんかん)()(まと)()れた!」と(かん)(どう)()(ふる)えたことを今でも(おぼ)えています。

(しょう)()20(ねん)(がつ)12(にち)(さむ)()、こうしてぼくは(はじ)めてあこがれの戦艦(せんかん)(やまと)和に()()みました。

戦艦(せんかん)大和(やまと)(なが)さ263メートル、(たか)さが48メートル、(はば)39メートル、(おも)さ73000トンもある当時(とうじ)()(かい)(いち)(ばん)(おお)きな(ぐん)(かん)です。

広島県(ひろしまけん)(くれ)という軍港(ぐんこう)から「(じゅん)(よう)(かん) ()(はぎ)」という(ぐん)(かん)()って、(おき)(しま)(かげ)停泊(ていはく)している()(まと)()かいました。

(じゅん)(よう)(かん)()(はぎ)戦艦(せんかん)()(まと)(おも)さが10(ぶん)の1ほどの(おお)きさの(ふね)ですがその(ふね)でさえ、()ったときは「わー!すごい(おお)きな(ふね)だなあ」と(かん)(どう)したほどです。

ぼくたちを()せた(じゅん)(よう)(かん)()(はぎ)()()(ない)(かい)のいくつもの(しま)(とお)()ぎてついに目指す戦艦(せんかん)()(まと)(てい)(はく)している()(しょ)(ちか)づきました。その途端(とたん)、ぼくの目になんだかハリネズミのような(しま)が飛び込んできたではありませんか。

「とげだらけの(へん)(しま)だなあ」と(おも)っていたらなんとそれが()(まと)(うしろ)姿(すがた)だったのです。大和は(しま)()()(ちが)えるくらい(おお)きく()えました。

島のように見えた大和

 

島のように見えた大和

 
()(はぎ)(しず)かに()(まと)(よこ)()まりました。お(しろ)(てん)(しゅ)(かく)のように()()げるような(たか)さの(かん)(きょう)にまず(おどろ)き、(つぎ)()(かい)(いち)(しゅ)(ほう)(なが)さと(おお)きさに(おどろ)きました。

最初(さいしょ)案内(あんない)されたのは居住区(きょじゅうく)といってぼくが普段(ふだん)寝起(ねお)きする場所(ばしょ)です。わかりやすくいえば自分(じぶん)の寝起きする部屋(へや)(かんが)えてください。この部屋(へや)は2(ばん)主砲(しゅほう)のすぐ(した)にありました。そこにあったロッカーには「八杉(やすぎ)」とぼくの()(ふだ)がすでに()ってありましたので、「これで今日からいよいよぼくも大和(やまと)乗員(じょういん)だ」という意識(いしき)がますます()いてきました。

そして(つぎ)()れて()かれたのはいよいよぼくの担当(たんとう)する部署(ぶしょ)です。

(せん)(かん)()(まと)(いち)(ばん)(たか)い構造物を「(かん)(きょう)」といいますが、なんとその(なか)でもさらに一番(いちばん)高い(たかい)位置(いち)にある「測的所(そくてきじょ)」という場所(ばしょ)がぼくの配置(はいち)でした。(たか)さは(かい)(めん)から34mというとても(たか)いところにあったのです。(した)甲板(かんぱん)にいる(ひと)がごま(つぶ)のように(ちい)さく()えるなあと(おも)っていたところへ(せん)(ぱい)から「()(すぎ)、ここがおまえの()()(しょ)だぞ!しっかりがんばれよ!」と背中(せなか)をポンと(たた)かれながら()われました。

この言葉(ことば)()いた(とき)、まさにこの場所(ばしょ)が17(ねん)(かん)のぼくの人生(じんせい)(おわ)場所(ばしょ)なんだなと覚悟(かくご)したのです。

しかしそれは(けっ)してつらい覚悟(かくご)ではなく、むしろ(ほこ)りに(ちか)(かく)()であったのです。「(おとこ)()まれて大和(やまと)()ねるのなら本望(ほんもう)だ」と覚悟(かくご)を決めたぼくは(みじか)かった自分(じぶん)の17(ねん)(かん)()(かえ)りました。


 

この物語が本になりました

続きを是非読んでください!!

 

◆プレス発表◆
朝日新聞 2005年3月16日 備後版
讀賣新聞 2005年3月28日 備後版