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8610 『皇国ノ興廃 コノ一戦ニ在リ 各員一層奮励努力セヨ』
2012/5/31(木)15:53 - 両舷直 - 3363 hit(s)

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今年の5月27日は107回目の海軍記念日で、日曜日でしたので、久しぶりに護衛艦に乗艦し、洋上慰霊祭へ参加する事が出来ました。

まず電車で筥崎八幡宮へ行き、神事を終えられて本殿から退出される宮司に拝礼し、本殿に参拝。
(『三笠』の艦内神社は、筥崎八幡宮が祀られています。)

その後、待ち合わせ場所の参道で、きょうの相棒である、僕の長男の嫁の弟さん
(彼は筋金入りの海軍ファンなのですが、きょうまで海軍さんのフネを見学した事が無く、僕の誘いに乗ってくれました。)
と合流し、八幡宮が用意して下さった専用バスで博多港第9岸壁へ行きました。

岸壁には第13護衛隊の「はるゆき」と「しらゆき」の二隻が接岸していました。
相棒と僕が乗艦するフネは「はるゆき」と指定されていましたので、乗艦受付を済ませてから、「はるゆき」と横幕が付けられたタラップから乗艦 しました。
艦上、艦内ともに沢山の見学者で、乗員の方は「すみません、ちょっと通して下さい。」、「はい、こちらから三名が行かれます。」など、大き な声やトランシーバーで会話されていました。
「はるゆき」の乗員は150名位だそうですが、きょうは一般人が530名近く乗っているそうですので、大変です。

相棒と僕は、人波を避けたり、列に並んだりしながら前甲板と後甲板を往復して見学し、出港前の1320頃に艦橋へ上りました。
既に出港準備が酣で、航海長と船務長が打ち合わせをしておられました。
すると、砲雷長が「艦長、お見えです!」と報告され、艦橋の緊張が高まると艦長がラッタルを上がって来られて、「はい、御苦労さん。」と敬礼されました。
その後まもなく、船務長が「司令、上がって来られます!」と報告されて、艦橋の全員がラッタルを上がって来られた司令へ一斉に敬礼をされました。

船務長から艦長へ、「本日の乗艦者527名、乗艦完了。」と報告が有り、艦長は「527名、了解!」と答えられて、「司令、出港は 1340(ひとさんよんまる)です。」と司令に報告されると、
司令は「はい。」と応じられました。
艦橋から前甲板を見ると、乗員の方が出港用意で忙しそうに作業をしておられました。

「「はるゆき」の左舷に右舷を接していた「しらゆき」は、「はるゆき」よりも先に出港するべく既に出港準備を終えて、右舷を「はるゆき」から 離しながら後進を始めました。

「はるゆき」では、艦長が腕時計で時刻を確認され、「出港用意!」と令されて、喇叭が鳴り響き、 スピーカーから「出港用意!」と放送が有りました。

「出港!両舷後進、微速。」艦長が号令を下されると、艦橋の乗員の殆どが「出港!」と復唱し、陸地に艦首を向けて停泊していた「はるゆき」 は、
ゆっくりと後進を始め、艦長と数名の乗員が艦橋左舷露天甲板に出て、岸壁とフネの間隔に注意を払いながら次々と操艦しておられました。

「はるゆき」は後進微速で岸壁を離れながら、徐々に回頭し、湾内で艦首を湾外へ向け、艦長は「両舷前進、微速。」と令せられ、次いで「黒 20」、
見張員が「防波堤かわった。」(防波堤通過)と報告すると、「原速!」と令せら れ、続いて「しらゆきとの距離を知らせ!」、
レーダーを見つめている航海士が「しらゆきとの距離、1800。」と応じますと、艦長は「強速!」と更に令されました。

暫く経つと、先行する「しらゆき」の姿が大きくなり、航海士は「艦長、しらゆきとの距離、500。」と報告されました。
艦長は、「了解。本艦は、しらゆきを左から追い越す。しらゆきに連絡。」と命じられ、通信士が「しらゆきに無線電話で連絡を取り、「艦長、し らゆきは了解しました。」と報告しました。
「しらゆき」の艦尾左側から「はるゆき」の艦首が追い付きそうになると、艦長は「しらゆきに対し、敬礼用意!」と命じられ、「しらゆき」の艦橋と「はるゆき」の艦橋が並んだ時、
航海士が「本艦、しらゆきを追い越します!」と艦長へ報告が有り、すかさず艦長は「しらゆきへ敬 礼!」と大きな声で号令されて、自ら「しらゆき」の艦橋へ敬礼され、喇叭が鳴り、
同時に「はるゆき」の手空き総員が「しらゆき」へ敬礼しまし た。

この敬礼は恐らく、護衛隊司令は「はるゆき」に座乗されていますから、「はるゆき」が司令護衛艦であり、先に出港した「しらゆき」よりも先行しなければならず、
しかし艦長としては「しらゆき」艦長の方が先任で有るための敬礼だと思われました。

日本海海戦が戦われた明治38年5月27日に打たれた「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ」という天下の名電文とは打って変わって、
きょうの空は青空、風も波も無く、絶好の慰霊祭日和です。

「天気晴朗ナレドモ波高シ」という電文は、「天気が良いので敵は良く見えるが、射撃は困難と思われる。」という報告をも意味しています。

もう少しで洋上慰霊祭の海面に着く、という頃、船務長が「司令が下へ降りられます。」と報告され、艦橋の全員が敬礼し、司令は艦橋から降りて行かれました。

そして、玄海島近くの洋上慰霊祭が行われる海面へ着き、艦内アナウンスで「洋上慰霊祭は後甲板で執り行います。」との案内が有りましたので、 僕達も艦橋から後甲板へ移動しました。

洋上慰霊祭は、大会会長挨拶、第13護衛隊司令の追悼文、弔銃発射、黙祷、供物投下の順で粛々と行われ、僕達も艦上から用意してきた百合の花を一輪ずつ海面へ捧げて手を合わせました。

洋上慰霊祭が終わり、相棒の希望で僕達は再び艦橋へ戻り、博多港への復路と入港作業を見学する事にしました。

洋上慰霊祭が執り行われている間、司令と艦長は慰霊祭に出席されていましたので、その間は航海長が操艦されていた様で、艦は微速で進みながら緩やかに回頭し、艦首を博多港の方へ向けていました。
慰霊祭終了後、司令と艦長は艦橋へ戻られ、再び艦長が操艦されて復路に就きました。

その頃、筥崎八幡宮の宮司が艦橋へ上がって来られましたので、僕は宮司に「きょうは、御世話になっております。」と、相棒を紹介しましたら、
宮司は莞爾と笑われて、「お、元気だったか?息子さん達も元気か?そうか、それは何より、良かった。」と言って下さり、相棒を見ながら「そう、君の長男の嫁さんの弟さんか。これから、どうぞ宜しく。」と
挨拶して下さり、そして艦長へ「御苦労様です。」と声を掛けられると、艦長も「はい、有難うございます。」と微笑まれました。

宮司が艦橋を降りていかれると、艦長は「強速。回頭予定時刻は、1511(ひとごおひとひと)、295°」と令され、航海士は艦橋の時計を注視して、「回頭予定時刻一分前、…回頭予定時刻。」と報告されると、
艦長は「予定針路に回頭。まもなく防波堤を通過する。赤20。見張を厳にせよ。」と命じられ、艦橋の緊張が高まりました。
艦長、砲雷長、航海長、航海士、それぞれが双眼鏡で周囲の海面を注視しながら、「右、プレジャーボート、本艦を横切る。」、「左、漁船。網を曳いている。」などと、お互いに報告と確認をされていました。

そして、出港まで停泊していた岸壁が近付くと、艦長は航海士を従えて艦橋左舷の露天甲板に出られて、測距義担当の海士長が読み上げる距離を聞きながら、「両舷、最微速。」、「面舵10°」等と操艦されて、
無事に「はるゆき」は、岸壁に達着し、舫い綱が前甲板から岸壁に投げられて、岸壁のビットに舫われ、入港作業が終了し、艦長は艦橋トップ(防空指揮所)から入港作業を見守っておられた司令を見上げながら、
「司令、入港しました。」と敬礼され、司令は「はい。」と短く返事をされました。

相棒と僕は艦橋を降りて、「はるゆき」を退艦する人達の行列に並び、「きょうは天気が良くて波も無く、良かった。大変、良いものを見せて頂いた。」と、
すっかり大満足で「護衛艦はるゆき」と大書されたタラップを通って退艦し、それぞれの家路に近いバスに乗りました。

海上自衛隊の皆様、武運長久と御安航をお祈り申し上げます。
まことに有難うございました。


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